◆NHKがテレビ放送を開始したのが昭和28(1953)年2月で、8月には民放もこれに続きました。この年、国産初の14型。17型白黒テレビが発売されましたが、サラリーマンの月給が3万円といわれた時代に1台30万円前後と、まさに高嶺の花。そこで人気を博したのが街頭テレビです。以来数年にわたり、力道山の空手チョップや大相撲の中継に人々は熱狂したものです。
◆昭和32(1957)年には、国産初のカラーテレビが発売されました。しかし、NHKがカラーテレビの本放送を開始したのは3年後で、白黒テレビの世帯普及率は、まだ29.1%に過ぎませんでした。
◆昭和34(1959)年には、皇太子殿下(現在の天皇陛下)のご成婚の模様がテレビで放映され、美智子妃殿下のお美しさに「ミッチーブーム」の旋風が吹き荒れたものです。
◆昭和35(1960)年には、NHKや民放4社がカラーの本放送を開始し、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「3種の神器」と呼ばれるようになりました。
◆昭和38(1963)年には、20万円を切る16型カラーテレビが発売されましたが、普及台数は白黒1,600万台、カラーはわずか5万台ほどでした。この年、初の日米間テレビ宇宙中継の実験放送があり、奇しくもその放送でケネディ大統領の暗殺現場が中継されて、人々は歴史の生き証人になったのです。
◆昭和38(1963)年に1500万件だったテレビ受信契約件数が、昭和42(1967)年には2000万件を突破しています。この間、昭和39(1964)年には東京オリンピックが開催され、これがテレビの世帯普及率を大きく押し上げる契機となりました。
◆昭和43(1968)年には、カラーの世帯普及率は4.4%でしたが、昭和46(1971)年になるとNHKのカラー受信契約は1000万件を突破し、昭和49(1954)年には世帯普及率でカラー85.8%、白黒48.1%と完全に逆転し、急速にテレビのカラー化が進みました。そして、昭和50(1975)年には、カラー受信契約が2000万件を突破して、日本のテレビは、今ではあたり前となっているカラーの時代を迎えることになりました。
◆昭和50(1975)年、NHKのカラーテレビ受信契約数が2000万件を突破し、さらに昭和51(1976)年には、カラーテレビの普及率は94%となりました。今ではあたり前のカラーテレビですが、50年代初頭にその全盛の時代を迎えたのです。
◆昭和53(1978)年には、マイコンを採用したテレビが主流となりました。さらに、音に豊かな広がりと奥行をもった音声多重受信装置内蔵テレビも発売され、映像だけでなく音響にも配慮され始めました。
◆昭和54(1979)年には、本体から着脱できるリモコン付きテレビが発売され、チャンネルを変えるたびに席を立つ必要がなくなりました。この年にはインベーダーゲームが爆発的に流行するとともに、国公立共通一次試験が初めて導入されました。
◆昭和55(1980)年、ビデオ内蔵テレビ(テレビデオ)が発売され、テレビ視聴と録画・再生が1台で簡単に楽しめるようになりました。
◆昭和56(1981)年、LSI(LargeScalelntegration:大規模集積回路)の働きで、テレビ画面の中にチヤンネル番号を表示できるデジタルサイン表示のカラーテレビが発売されました。同年7月、英国のチヤールズ皇太子とあのダイアナ妃との結婚式が、世界的な歓迎ムードの中で華やかに行われました。
◆昭和60(1985)年、初めて37型の大画面カラーテレビが発売され、各メーカーが大画面化を競うようになります。同年8月、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し、520人もの犠牲者を出すという大惨事が起きました。この悲惨なニュースを大画面テレビで見ていた方も多いと思います。
◆昭和62(1987)年には、文字多重放送内蔵テレビが発売され、外国語による解説や耳の不自由な方への字幕放送サービスなどが可能になりました。
◆昭和63(1988)年には、ソウルオリンピックにあわせてハイビジョン映像の実験放送が行われ、標準テレビの約5倍の情報量や垂直の走査線の数が2倍以上となる鮮明な画像と、PCM(PulseCodeModulation)音声放送により、臨場感豊かな映像と音楽を楽しむことができるようになりました。
この後テレビは、さらに高精細。高音質を追求してデジタル化を進め、ブラウン管テレビから徐々に液晶テレビやプラズマテレビへと変貌していくこととなります。
なお、近年人気の薄型テレビの先鞭をつけた液晶テレビが発売されるのは、平成3年ですから、昭和のテレビは、ブラウン管が主役の時代だったと言えるでしょう。
|